芭蕉翁、俳聖の息絶えた地 - 大阪の地に眠る魂
プロローグ - 俳聖、その旅の終着点
「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」
奥の細道行脚の冒頭を、かの有名な一文で飾った俳聖・松尾芭蕉。日本全国を旅し、数々の名句を世に送り出した俳聖も、遂にその旅を終える時が来ました。元禄7年(1694年)10月12日、芭蕉は大阪・難波の地で息を引き取りました。享年51歳。その生涯は、まさに旅そのものでした。

芭蕉、大阪へ - その理由と足跡
芭蕉は、門人の不和を和解するために大阪を訪れたと言われています。当時の俳壇は、正風と反正風の二派に分かれており、芭蕉はその調停役として期待されていました。大阪滞在中、芭蕉は様々な人々と交流し、句会や歌会に参加しました。また、大阪の町を歩き回り、その風景や人々を句に詠みました。当時の大阪は、「天下の台所」と称され、経済の中心地として栄えていました。芭蕉は、その活気あふれる町並みや、そこに暮らす人々の息吹に触れ、多くの句を残しました。
「旅に病で夢は枯野をかけめぐる」 - 辞世の句と最期
大阪滞在中、芭蕉は体調を崩し、病に倒れました。しかし、その病床においても、句作への情熱は衰えることなく、最期まで筆を執り続けたと言われています。そして、10月12日、芭蕉は門人たちに囲まれながら、静かに息を引き取りました。辞世の句は、
「旅に病で夢は枯野をかけめぐる」
でした。この句は、芭蕉の旅に対する思いと、死に対する覚悟を表していると言われています。
芭蕉の魂、今も難波に
芭蕉の墓は、京都の義仲寺にあります。しかし、その魂は今もなお、大阪の地に残されています。芭蕉が息を引き取った場所には、辞世の句碑が建てられており、多くの人々が訪れます。また、芭蕉が滞在したとされる場所や、句に詠まれた場所も、今も大切に保存されています。意外なことに殺風景に芭蕉翁終焉の地の石碑は、御堂筋沿いの道路沿いにあります。
芭蕉翁終焉の地
〒541-0056 大阪府大阪市中央区久太郎町3丁目5